臍(ほぞ)を狙え

Dame ramen y dime tonto.

日記#318 今日の愚行のせい 2021/05/20

う...う....

息も絶え絶えですが、日記を書きます。日課なので。義務感で書く日記、これこそ至高。楽しんで書いてるうちはアマチュア。苦しみながら書く文章にこそ魂が宿る。

なんとなくバタバタとしていたら夜のスペイン語クラスを逃した。気づいた時にはもう開始から1時間半が終了。もう終わりの会をしてる頃だろうから入るのは諦めた。

私のスペイン語が上達しなかったら全部今日のこの愚行のせいです。あーあ。

 

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ミスド。

ミスタードーナッツの歴史って何度もいろんなところで聞いてるはずなんだけど、毎回忘れてしまう。結局何だったんだっけ?アメリカの会社なんだっけ?

(そこにある ぱそこん でしらべてみよう!)

アメリカボストンで創業。1990年にアライド・リヨンズに買収され同社のダンキンドーナツに転換。その後アライド・リヨンズはダンキンドーナツを含むレストラン部門を売却し米ミスタードーナツ消滅。その後は提携先が各自にブランドを維持し日本ではダスキンが事業を継承。

らしい。

なるほど。ダンキン、ダスキンという似てる2社が出てくることが全ての元凶だな。覚えられないのもしょうがない。

そしてダスキンってあの清掃会社のダスキンなんだ。これは知らなかった。知ったからといって、どうということもないが。

 

ベルセルク作者の三浦建太郎が亡くなり、そのことを一日中ボーッと考え続けていた。

最近人が死にまくっているような気がするけど、それは私が大人になったということだろうか。大人になると、知ってる人が亡くなった時にその死の意味を自分の人生に写して考えるようになる。友人を亡くした時、中学生だった私はわけもわからず泣いたが、あの頃と今では確かに死の受け取り方が変わったように思える。

 

人生というは他人の死で満ちている。面白いことに(もちろんinterestingの意)死ぬのはいつも他人だ。どれだけの死を経験しようとも自分の死だけは経験できない。

なんでだろうなあ。

知りたいよ。自分が死んだ後のこと。

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平沢進がすごいメッセージを送っていた。

2021年5月20日