日記#44 パプリカと夢の語源 2020/08/18
映画監督の今敏氏が亡くなって来週で10年になるということで僕の周りで今敏作品が話題になっていました。恥ずかしながら一作も見たことがなかったのですが、ネトフリにあったので遂に見たぞ!(以下は微量のネタバレを含みます)
「パプリカ」(2006)
夢の話らしい。夜見る方の夢だ。
ややこしいな。ちなみに将来への願いを「夢」と呼ぶようになったのは比較的最近のことで(明治期)英語でdreamが二つのことを意味するのに引っ張られて使われるようになったらしい。
それではなぜ英単語dreamは二つのことを意味するか。
英辞書Merriam-Webster によると
そもそも古英語(〜1150年ごろ)ではdreamは「完全に目覚めている間に経験される聴覚または感情的な感覚(音楽、ノイズ、喜び)」のことを言ったらしい。それが古ノルド語のdraumr(睡眠中に起こる思考、感情、情景など)と混ざり合い、中英語の時代にはその古ノルド語の意味に加え「覚醒中に起こる現実離れした思考感情情景」という意味を含むようになった。その後「空想や幻想」といったことにも使われ始め、さらにのちの時代には、「理想的であること」や「強く望まれること」まで意味が拡大された。
らしい。
そしてかくかくしかじかの過程を経た英語に影響を受けた日本語が、夢(夜目)を願いや願望の意で使い始めた。
というのが僕がざっと調べた結果だ。間違っている可能性は十分、いや二十分くらいにあるが、ネットの隅々を探してもはっきりとした答えは得られなかった。
なんの話だっけ?
ああ、「パプリカ」を見た話。
なんかインセプションみたいだな、と思ったらずっと言われ続けてることらしい。残念。僕だけの革命的な気付きかと思ったのに。
めちゃくちゃ可愛いキャッチーな題名をしていて、狂(くるい)純度100%の作品だった。もっとダークかと思っていたけど、そうでもなかったかな。ただしストーリーが忙しすぎて間にちょくちょく挟まるユーモアを見逃す。完全に理解したかと聞かれると全然してない。結局あれは誰の夢だったのだろうか。人々の集合的な意識という認識であってるのかな。しかしそんなものが存在してしまったら自分の存在の確かめようがなくならないか?集合的意識こそが存在しているもので自身はいない、とか?いや、ん?まてよ、えーと、
わかんねぇ。わかんねぇ〜よ〜 助けてくれ〜
原作読むべきか?
平沢進の音楽は以前に聞いていたので、作中で彼の音楽を聞いたときは、二つの点が交わる感覚があって嬉しかった。ただ映画を見ても歌詞の意味はわからん。
胸にはパワーが漲る 化学物質のお陰だね
ハイヤーや古いタイヤや 血や生肉の通りを行き
あれが自由さ 理想郷の真似事さ
買い手やネットの 煌びやかな社会のメインストリートは晴れやかさ
鬱なんてマイナー そんなものは戯言さ バラ色の人生は安く買える
つまりそれが幸せだと知れ 持ち切れない程持っている!
言語感覚どーなってんだ?僕が不勉強で理解力が足りないだけだろうか?理屈で理解するものではないような気がするが。
今は、夢つながりで夢野久作の「ドグラ・マグラ」を読んでいる。既にパブドメなので無料公開されている。みんなも読んでみよう。無料だとドグラマグラの怪文書である側面がより強調な。
2020年8月18日