臍(ほぞ)を狙え

Dame ramen y dime tonto.

日記#305 無音の音楽 2021/05/07

大金はたいて買った韓国海苔が塩っぱくないタイプのやつだった。絶望している。無塩韓国海苔なんて無音の音楽みたいなもんだ。そんなもの存在していいわけがない。

どうしてやろうかな。わざと湿気させて普通の海苔みたいにしちゃろうかな。

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ドラマなんかで登場人物がマスクしてないのを見るとフィクションだな〜と感じるようになった。私がいる世界とは違う、向こう側の世界の話なんだっていう感覚。フィクションなんだから当たり前なんだけど。

私は、今まで場面が現代に設定されているドラマを見る時にそれはこの世界のどこかで実際に”あって”いることだと思っていた。意識していたわけじゃないけど、どこかそういう風に感じてた。
それが最近、マスクしてない奴らが詐欺をしたり不正を暴いたり上司を土下座させたりしているのをみると、「ああ、これは私の世界ではないのだなあ。」としみじみ思う。

アニメとかゲームとか見てる時に近い感覚。確かに存在はするんだけど、あっち側の世界。


そういえば夢に出てくる人、マスクしてる?

私の夢ではまだしてない。私の夢は水際対策がしっかりしてるので大丈夫なんだ。

 

毎日森山直太郎のことしか考えてないので、森山直太郎の話をします。

森山直太郎の曲の中で私に今一番響いてるやつを紹介しようと思う。ずっと前から知ってたけど、その時はあまりよく理解できなかったし特に目立たなかった。それが何年か越しに、今日聴いてみたらどうだ。危うく泣きそうになった。

やっぱり音楽の価値って聴く人、そして聴く時代によって変化し続けるなと実感した。当たり前だけど絶対的な価値なんてなくて、聴いているお前(お前のことだ)がどう感じるか、ということでしか測りえない。

(サムネでっか!)

『コンビニの趙さん』という曲。直太郎ファンには有名な曲だけど、あまりメジャーに売れた印象はない。というか直太郎の曲あんまり世間にヒットしない。なんでだろ。思えば 「音楽をよく聴く人」の外側まで及ぶような大ヒットは『さくら(独唱)』ぐらいしかないかもしれない。本人も別に気にしてないだろうけど、ヒットしないと本当に聴かなきゃいけない人に届かなかったりするからな。私は大人しく、粛々と紹介していくことにする。

この曲ね、いいですわよ。以下私の勝手な感想メモ。

歌詞の序盤は「私」について。いつも通りの直太郎という感じもするが、世界の中にいる私とその移り変わる思考に目が向いている。そして突然の”コンビニの趙さん、笑顔でレジを叩いてる””髪を一つにまとめてる”。こんなにコンビニ店員をしっかり観察することがあるだろうか。ない。私は趙さんをコンビニ店員以上の個人として認識している。そして2番では”コンビニの趙さん、近くの駅で見かけたよ”。私は私服の趙さんを見つける。それはまるでもう一つの扉を開けるように、趙さんの人生を想起させる。趙さんの人生の断片を集めて、そこに”本当に”人がいて人生があるということを再確認する。

生きている人っていうのは「日本のコンビニでバイトしてる中国人」というような言葉では決して語りえない存在なんだ。でもそれを知らずに人は勝手な想像をする。辛いかな、幸せかな、なんで日本に来たのかな、結婚してるのかな、両親はどんなかな、何を考えてるのかな。私服の趙さんはそんな私に果てのない記号の向こう側をちらりと見せる。私はその事実に圧倒されて”透明に近い青い空”を見る。

お前は何も知りえない、しかし人は人の人生を送り続ける。

”全ての魂よ、また会う日まで。”

2021年5月7日