日記#265 隙を与えるな 2021/03/28
明日は久しぶりにスキーに行くのでちゃちゃっと書いてスパッと寝たい。
が、何も書けないな......。
最近パターンがわかってきて、日記が書けない時は決まって本を読んでいない。本を読んでいれば頭の中が言葉で溢れて「こいつをとっとと文字してしやいやしょう!」と私のリトル江戸っ子が駆け出すんだけど、インプットが足りないと本当に何も思い浮かばず、自慢の13インチRetina ディスプレイを前に途方にくれることとなる。
本当のことを言ってしまえば、そんな脳のコンディションで書かないほうがいい。貴重な時間と集中力をすり減らして毒にも薬にもならない駄文を練り上げるくらいなら、腹出して寝ていた方が何倍もいい。
(自分が頑張って書いた文を駄文と呼ぶのは好きではないが、ここでは敢えてそう呼ばさせて欲しい。だって頑張ってないから。)
そういう時って、言語をつかさどる脳の部位がスリープ状態になっている気がする。私の場合、そいつを起動するのに永遠がかかる(it takes foreverの直訳)。周りを見ると、この”言語モード”に瞬時に切り替えられる人は結構いるようだけど、私は本当に遅くて、Window Vistaが走ってる生徒会室に一つしかない富士通のノートくらいだと思ってもらえれば良い。
じゃあ、そこまでしてなんで書いているかと言うと、毎日書かないと一生書かなくなってしまうから。1日でも休めば なし崩しに書かなくなって、(書き続けていれば生まれたかもしれない)名文麗筆と芥川賞と本屋大賞を逃すことになる。
前にも言ったような気がするが、「毎日やる」というのが目標として最も簡単に達成できる。期限を一番分かりやすい単位に設定することで、自分に言い訳する隙を与えない。この有効性を最近身を以て感じていて、2月頭に立てた「毎日解剖学のデッサンをする」という目標も今日まで2ヶ月間休まずに続けられている。
私は絶対に3日に一回とか、1週間に一回などの目標を立てない。条件に余白があると、その分やらない言い訳を見つけてしまってすぐ諦めてしまうから。強制力の強いやつじゃないとダメな体になってしまった......。
これにはもちろんダウンサイドがあって、それが「毎日書くためにはクソみたいな文章も生み出さなくてはならない。」ということ。自分で「ああ、読む価値ない文だな...」と思いながら投稿する日記は辛い。
果たしてアップサイドはこの欠点をカバーできるのだろうか。カクヨム大賞が取れなくても、スニーカー大賞が取れなくても、この苦痛はペイされたと言えるだろうか。
わからない。
そもそも利益不利益、プラスマイナスで物事を考えられたら日記なんて書かずにビットコインでも買ってる。
「書くことがない」というお題で1000文字書いたので今日はこれでヨシとしよう。
『児玉まりあ文学集成』より児玉まりあさんの模写
2021年3月28日