日記#114 脳溶日記 2020/10/26
昨日に引き続きなんにも書く気が起こらん。そうだったら別に書かなきゃいいだけなんだけど、それもまあなんかあのあれだしね、ってな感じでだらだら書いてる。
(↑毎日文章を書いている者の文とは思えないが、本当に最近思考できないんだ。脳みそが溶けちゃったのかな。)
私が応援しているサッカーチームである「アメリカ・デ・カリ」のTシャツを買った。なんてことはない、Umbroの赤いシャツにちっちゃいロゴが入っているだけだが、それでも私がコロンビアにいたという証拠にはなる。
本当はスポンサー広告がいっぱい入った試合用のユニフォームが欲しかったのだけど、どこを探しても見つけられなかった。もっとドンドン売ってくれや!
胸スポンサーのペプシのロゴがあり得ないほどダサくて気に入っている。
しかしペプシも容赦ないな。こっちの横バージョンを使えばもう少しデザイン的にまとまるだろうが、世界の大企業さんは「広告になっているか」どうかしか気にしないんだろう。
コロンビアのサッカーチームはナメられてるんじゃないのか?「こんなクソダサいロゴ使ってられっかよ!!!コカ・コーラに乗り替えるぞ!!」ってブチギレてもいいと思うんだけど。
フィンカで見たよそんちの犬。
コロンビアでは、犬は首輪なしで放飼いになってることも多い。近所をうろうろして友達の野犬と遊んでたりする。一見微笑ましいが、ダニとか事故とか病気とかいろいろ心配してしまう。どっちの方が幸せなんだろうな。家に閉じ込められて病気も怪我もせずに一生を送るのと、ダニに揉まれ事故や病気のリスクを負いながら外で自由に暮らすのと。
これはキョロナ時代のテーマとなる問いでもある。死んだように生きるのがいいか、生きながら死ぬのがいいか。
私は絶対後者を取りたい。もし世界に私しかいないのだったら、そうしている。(残念ながら世界には私以外に78億の人間がいるので、そういうわけにはいかない。私一人では決められないのだ。)
犬を見て思い出したが、うちの近所はドアも窓も基本的にずっと開け放してあるので、人も犬もどんどん出入りする。外と中の境界が極端に薄いんだ。
まあこれはコロンビアに限らないし「田舎の特性」と言ってしまえばそれまでのような気もするけど。
私はこのような暮らしの方が断然好きだな。人とつながっている、地域の中に私がいる、という実感と安心を得られるから。
これは確か心理学かなんかの研究になっていたはず。
例えば高層アパートに住んでいる人の方が、一軒家や低層階建のアパートに住んでいる人と比べて孤独を感じやすい。それは外のコミュニティと隔絶された空間で時間を過ごしているからだ。一軒家、もしくは2-3階建の家に住んでいる場合は、部屋から通り(とそこを歩く人々)を見ることができる。また逆に通りからも部屋が見える。別に近所との会話や人付き合いがなくとも、この「距離感」が人間を心理の深いところで安心させるらしい。
一方の高層アパートではこんなことはない。通りは遥か眼下に、まるでおもちゃのように見えるだけだし、ご近所付き合いなんてものも存在しない。せいぜい朝のエレベーターで会釈するぐらいだ。(もちろん多くのアパートはそれを目的として作られているわけだけど。『外と区切られた自分だけの安全な空間』ってのがアパートの売り文句だから。)この完全に世界から切り取られた空間で、人は孤独を覚える。
マンション住み読者の皆様には気の毒ですが、これが事実です。孤独を感じたくないのなら、壁をぶっ壊して物理的に近所との距離を狭めるか、もしくは低層に引っ越してください。
残った部屋は私がどうにかしますので、ご安心を。
登記簿謄本と実印だけ置いて行ってください。
2020年10月27日