臍(ほぞ)を狙え

Dame ramen y dime tonto.

日記#273 戦え。己の拳で。 2021/04/05

よし、日記です。

帰り道に銭湯があったので思いつきで寄ってきた。計画していく銭湯も気持ちいいけど、やっぱり何より思いつきで行く銭湯が一番。私は真にこの宇宙で自由な存在なんだと実感できる。

平日の夕方ってのに人は多かった。あと露天に浸かっていたら、お坊さんが団体で入ってきた。なんだろう研修旅行かな?

これは個人的で勝手な欲望なんだけど、聖職者には完全に完璧に近い存在であって欲しいし、そのためにはどんな犠牲も厭わないで欲しいと思ってるので、お坊さんが銭湯にいるとモヤっとする。体を清潔に保つという目的のためだったら銭湯に入ってもらっても構わないけど、湯船に浸かった時に「ああ〜気持ちぃ〜これこれ〜至福だぜぇ〜。」みたいな顔をしてるの見ると、それどうなの?と思ってしまう。副交感神経の刺激という物理に支配されてない?

あと、お坊さんが猫と戯れてる動画なんかも、私はかなりモヤモヤしてる。猫を撫でたい気持ちって人間の一番根源的な欲求だから俗も俗では?(聖職者相手ならなにを言ってもいいと思ってる。事実、そうだと信じてる。)

サウナには入っていなかった。そうだろうね。サウナはなんか、ダメだと思う。私は仏教に疎いので教義がどうこうとかゴータマさんがどうこうとか全然知らないけど、嘘や酒や色がダメで、サウナで”整う”のが許されているわけがない。

あれは21世期の日本でも法律ギリギリの行為だから。

そんなお坊さんを尻目に私はサウナと露天の往復を繰り返した。そのあまりの整り具合に「サウナとTHCとの類似性をガッチリ調べて日記に書いてやろう」と強く決心したのだけど、風呂から上がったらそんなことすっかり忘れてメロンソーダを煽っていた。サウナの中でする思考はTHC作用中と同じで脳に定着しない。

そしてやっぱり気になるのは、果たしてサウナで人はクリエイティブになれるのか、ということだろうけど、結論から言うとなれない。

まず、サウナ内はミヤネ屋があーじゃこーじゃと大声で喋っているので全然集中できない。(テレビってサウナでしか見ないんだけど、こんなにコ口ナの話してるんだね。私の生活圏内ではコ口ナのコの字も出ないので、もうブームは終わったんだと思ってた。)

そんなわけでサウナ内では無理だから、じゃあ外はどうだろうと思って、外気浴中に短歌を作ろうと試みたけれど、まったくなにも浮かんでこない。”整っ”て感覚が鈍っている時に、その繊細さと鮮やかさ、鋭さみたいなのが求められる短歌は合わないのかもしれない。まあ、そんなこと以前に私にその能力がないというだけだろうけど。サウナどうこうと言うよりね。

以上のような反省をしたので、其の足で木下龍也さんの「天才による凡人のための短歌教室」という本を買った。

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装丁も綺麗で素敵だよね。短歌を作ろうと思ったら家で24時間パソコン睨んでるわけにはいかないので、籠もりがちな最近の生活を改善できるかもしれない。春だし。

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だーいぶ膨らんできた。この分だとあと1週間くらいで咲くような気もするんですが、どうかな。

例年4月の最終週だから早すぎるね。地球温暖化。グローバルワーニング。世界への警告。真実への目覚め。アウェイクン・ウォーリアーズ。戦え。己の拳で。

2021年4月5日