日記#293 包丁を研ぐという趣味の欠点 2021/04/25
最近麻雀がわかるようになってきた。たまには勝てるし、根こそぎポイント失うような大敗も少なくなった。
ルールとかは読んでないので勘でやってるのには変わりないけど、経験値を積んだことでなんとなく行動と結果の因果関係を見つけられるようになった。特に負けた時、どの判断が間違っていたのかというのを考えるようにしている。勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、と昔の偉い人も言っていたし。
早く上手になってこれ一本で食っていきて〜な〜。
今日は包丁を研いだ。
長いことやってなかったが、そう言えば私の趣味だった。
包丁を研ぐという行為は、頭を使わないが指先の感覚を使うという点において絵を描くのと似ている。適度な緊張と集中で非常に良いリラックスになる、素敵な趣味だ。
この趣味に欠点があるとすれば、切れない包丁にキレてしまうようになることだろう。料理番組で(スタジオで用意された器具を使ってるだけなんだろうけど)おもちゃみたいな包丁を使って、引きちぎるように野菜を切ってる人を見ると、うぐぐぐぐぐとなる。そんなこと気にしなくて良いのにね。人は人なんだから。切れない包丁使ってる人にも人生があって喜びがあって哀しみがある。
包丁研ぎはやたらと他人の包丁を研ぎたがる。すぐ「研いであげようか?」と言うし、台所に入れようものならあなたの包丁をじっと見て「ん〜刃こぼれしてるなぁ...」などと大きな声で呟いたりする。私と、多くの包丁研ぎの名誉のために言っておくが、これは決して「オレのナイフ・シャープニング・スキルが火を吹くぜ!刮目せよ!!」とイキっているわけではない。単に、自分が持っている包丁はすでに研がれてしまっているので、あなたの包丁をお借りしても良いですか?私の趣味のためにどうかリソースをお貸しくださいと。そういう顕示欲や承認欲求とは一線を画す、ピュアに利己的な理由なのだ。
自分の包丁をもう一度研げばいいじゃないかと思うだろうが、そうも行かない理由がある。
包丁の刃というの有限だ。
1度くらいではわからないが、2、3度研げば包丁は目に見えて短くなる。楽しいからと言って何度でも研いでいれば刃はすぐに短くなって、立派な牛刀も可愛い果物ナイフになってしまう。
手持ちの包丁が研がれてしまった今、できることはただ一つ。
信頼できる友人に頭を下げるしかない。
「なんでもいい、研がせてくれ。」
もしあなたの友人が震える両手を隠し、そう頼み込んできたら、快く家にある包丁を2-3本貸してやってほしい。そうして救われる命があるのだから。
追記
包丁の実演販売ではよく紙を切って切れ味のアピールをするが、あれはなんの証明にもならない。百均の包丁だってちゃんと砥げば紙くらい切れる。本当に証明しようと思ったら、力士を持ってきてそれを一太刀で割ってみよ、そう昔の偉い人は言っていた。
2021年4月25日