臍(ほぞ)を狙え

Dame ramen y dime tonto.

日記#197 エンガル通りの雑踏とドナウ川を遡上する石炭運搬船の低いタービン音 2020/01/19

エンガル通りの雑踏とドナウ川を遡上する石炭運搬船の低いタービン音は、いつものように完全なバランスで互いを打ち消し合い、河畔のカフェ・カイザミュンの店内には全美たる沈黙が漂っていた。2つ奥のテーブルでは労働者風の若者たちがコーヒーそっちのけで、眉間にシワを寄せながらノイエ・フライエ・プレッセの誌面を睨んでいる。「実に哀れだ。」私は愛と期待故の同情からそう呟かざるを得なかった。ハプスブルク朝はもはや名だけの巨大な枠組みと化し、崩壊までのわずかな余命をアイン、ツヴァイと数えている。自由主義が欧州を席巻してはや五十年、ウィーンは依然として他に例をみない混沌の中にあった。そして彼らこそがそのカオスの担い手である。彼らの親は最初の欧州自由主義旋風を肌で感じ、そして飛び乗った世代であった。中流階級から努力と規律によって成功の階段をのし上がった人間である。そんな彼らが子供に期待することといえば、まさに努力と規律以外の何物でもないことは明々白々。子は当然のように反発した。芸術を権威と成功の象徴もしくは高貴な娯楽とし、見かけだけの形而上の真理探究を演じる親世代を見た子らは芸術そのものに答えを求めようとした。同じような耽美主義はパリやロンドンなど他の欧州都市でも起こり、次第に存在感を増し社会と政治に変革を与えていた。しかし(不幸にも)ウィーンのそれは他と一線を画す独特の形態を持ち、例えるならば行き先のない回し車であり、蒸気船のタービンであり、ウィーン市街を一周するオーパンリンクであった。ウィーンの青年たちは薄々そのことに気付きつつも、飛び降りる勇気を持ち合わせておらず、ドナウの川べりでは悶々と議論と批評が繰り返され、ただ眠気覚ましのウィンナーコーヒーだけが消費されていった。

 

皆さんこんばんは、今日も日記を書いていきます。

駅前のカフェでコーヒーを啜っていたら突然ウィーンに行きたい激しい衝動に駆られたので、文字を書くことでなんとか気を沈めた。危ないところだった。私に日記という欲望発散媒体がなかったら今頃羽田で空港係員と取っ組み合いの喧嘩をしているところだった。

ちなみにだが、上の文章はかなり適当なので情報として全く信じないで欲しいし、そもそも読まなくて良い。耽美主義って何?ハプスブルク朝って何?単に響きがかっこいいから使ってるだけで、何か内容を伝えようなどという意図はない。そもそも私はオーストリアに行ったことがないし、行きたい、行きたい!言ってるわりには、ウィーンの歴史やら文化を全然勉強してないので。

歴史勉強するのって本当に大変な作業だから。例えば19世紀末のウィーンについて調べようとしても、その理解には同時期の欧州情勢やら18世紀や17世紀のオーストリアの歴史やらを学ぶ必要があって、それを学ぶにはさらに過去の歴史を知っている必要があり...。歴史は果てのない芋づる。INFINITE POTAO VINEなのです。

 

今日は自動車学校へ行って入学手続きと支払いを済ませてきた。受付の人は入学の説明をもう何百回何千回と繰り返しているようで、30枚ぐらいの用紙を私に手渡しながらノールックで注意事項や契約内容を諳んじていた。すごいなー。私も何かをあれぐらいのレベルまで極めたいものだ。

支払いだが、30万円もした。

300,000円。

ふざけてる。

30万の純利益をあげようと思ったら、一体何個小籠包を売らなきゃいけないと思ってるのか?(私が小籠包屋だったと仮定した場合の話だが。)

正気ではいられなかった。

でも支払った後に、

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かわい〜〜〜いイヌちゃんのクオ・カードをもらったので、そんなことどうでも良くなった。

たった1000円だけど。許しちゃう!!

 

チョロいな〜〜

2021年1月19日