臍(ほぞ)を狙え

Dame ramen y dime tonto.

日記#230 1日坊主 2021/02/21

昨日は宣言通り 12時前に就寝することができた。応援ありがとう。有言実行の人とは私のことだ。

しかし、その反動で今日は12時を過ぎてから書き始めている。しょうがない。人が暇になるのってこの時間帯だから。

8万再生くらいの中華ヒップホップを聞きながら書いていく。文章を考えなきゃいけない時はわからない言語の音楽を聴くに限る。以前はスペイン語の音楽を聴いてたんだけど、最近歌詞が聞き取れるようになってしまった。

 

3日間3Gのwifiプランを出先で使っている。

3Gもあるし大丈夫だろうと、何気なしに音声ファイルをダウンロードしたら、一瞬で3.5G埋まってしまい。残り2日間をスーパー低速回線で過ごすこととなった。

データプランを持たずに一生を過ごしてきたので、どのような操作がギガを喰うのか、全くわからずにいる。ストリーミングが大丈夫でダウンロードがダメな理由はなんですか?わからない。何もわからない。

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コーヒーを飲んだ。2杯飲んだ。

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このカフェいいんだよな〜。

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窓の外で春が炸裂している。

 

気温が高くなると 上空で作られた雪の結晶同士は降下中に結びつき合い、大きな羽のような いわゆる牡丹雪を形成する。

私は確かそれを、中谷宇吉郎の『雪』で読んだのだと思う。

『雪』を読んだことがなくとも、「雪は天からの手紙である」という一節なら聞いたことがある という人も多いだろう。

この「雪は天からの手紙である」というフレーズは、地道でひたむきな科学者・中谷宇吉郎とロマンチックなエッセイスト・中谷宇吉郎を一度に表した(大袈裟だが)本当に完璧なもので、彼の話を読むほどにその意味に心打たれる。鋭い美的感覚と科学の目を通して語られる中谷の雪は大変に魅力的で、そのことに一度気づかされてしまえば、いつもの札幌の雪景色は もういつもの札幌の雪景色ではなくなるのだ。

昭和11年、北海道大学の低温室で中谷が顕微鏡を昭和天皇に覗かせて できたばかりの人工雪結晶を見せたように、我々は彼の文章を読む時、そこに綴られた言葉の水晶を透かして この美しい世界を再認識するのである。

私の高校では冬休みの課題図書として『雪』を読まされた。

しかし、何を思ったか、16の私。序盤こそ ふむふむと読んでいたものの、やや難解になるにつれて興味を失い、結局半分も読まずに離脱したのであった。この名作を、である。

なぜ私はこの美しさに気がつかなかったのか。それは、私が高校生であったという事実のみによって説明される。聡明な読者諸君も高校生であった自身を思い起こしてみて欲しい。果たして今のように聡明であったろうか。否。

高校生というのは実に不思議な生き物であり、成人に比べて知識も理解も感覚も大いに劣っていながら、そのくせに全てを理解した、というような根拠のない自信と自恃を学ランから匂わせ、彼らにどれだけ此れ此れが重要である とか、其れ其れこそが問題である と説いても馬耳東風、好きな中華は麻婆豆腐、イェイイェイ、ウェーイ、というようにラップ音楽の実に低質な真似事なんぞをやっているばかりで、彼らを前にしては、言葉は如何程の価値も持たず、我々はただ 時 が彼らを襲い、外的にその妄想が砕き破られるのを待つことしかできないのである。

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自転車、ちっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっさ。

2021年2月21日