臍(ほぞ)を狙え

Dame ramen y dime tonto.

日記#48 森山直太郎の最悪な春と麺を投げるラーメン屋 2020/08/22

森山直太郎はいい。

 

『最悪な春』

日本で緊急事態宣言があった月にインスタライブで発表された曲だ。のちに御徒町凧の詩に森山直太郎が1時間でメロディーをつけたものだったという報道があった。題名通り、今年の最悪な春についての歌である。YouTubeの概要欄には「2020年春の記憶、記録」と書いてある。直太郎ファンなのですぐ聞いたが、歌詞が素敵でしかもわかりみがエグい死ぬだったので、一部紹介したい。

『最悪な春』作詞:御徒町凧

絵に描いたような空と 空に描いたような絵があって
どっちの方がステキと 驚くような日の光 見つけた頃に忘れちゃう

まずタイトルが良い。そうだよね。最悪だよね。こんなの誰も望んでなかったし、いいことなんてひとつもない最悪な春だよ。そう言ってくれて僕は安心した。みんな「大したことないよ」みたいな顔してるけど、これは最悪だよ、辛いよ、悲しいよって。

 

森山直太郎の昔の曲に『生きてることが辛いなら』という曲があって「生きてることが辛いならいっそ短く死ねばいい」という印象的な歌詞がある(当時めちゃくちゃ叩かれた)。『最悪な春』という題名はその感じに似ている。「大丈夫、大丈夫!」「頑張れよ!」という応援の残酷さを直太郎はわかっているから。

 

「絵に描いたような空と空に描いたような絵」何度も繰り返し呟いてみたくなる言葉の面白さがある。「絵に描いた空」はわかる。完全に美しい理想の空、それが部屋の外には広がっている。ただ「空に描いたような絵」ってなんだ?普通は空に絵は描かない。空に描く物の定番は夢とか希望とか未来とかだよね。空ぐらいクソでかいキャンパスに描いた絵ってことだろうか。もしかしたら窓際に寝っ転がって見上げる空に何かを描こうとしてるのかな。どっちの方がステキだろう?理想の空もクソでかい絵もどっちもステキだ。そんなことを考えていたら「驚くような日の光」が顔を出す。ここは少し難解だ。急に雲の影か窓の外から出てきた日の光が「私」を驚かせたのかも知れない。それとも少し遠くに見える日の光の強さ(初夏を感じさせる?)に改めて気づいたのかも。こっちの方がしっくりくるかな。でもなんにしろ「見つけた頃に忘れちゃう」のだ。ぼんやりと外を眺めて流れる思考に身を任せている。

音を消したテレビが 止まって見えるようなことがあって
ドクダミを摘んだら お茶にして飲もうか それは誰の提案

忙しかったり何かに熱中していたら気付かない、何気ない体験を言葉にしてくれるのが、直太郎のSP(最高ポイント)だと思う。少しでも気を紛らわせようと、僕も一日中音のないテレビをつけている。すると何か考え事をしている最中に、ふとテレビが止まって見える瞬間がある。大袈裟にいえば何か自分が世界から切り離されたような瞬間と言っていいかも知れない。(ちなみに間接視野にあったものにパッと焦点を当てると止まったり遅れて見えたりする現象をクロノスタシス現象という)

「ドクダミを摘んだらお茶にして飲もうか」
春の飲み物といえばドクダミ。ちょうど5月あたりが収穫の時期だ。こんな提案をしたのは誰だろうか?もしかしたら昔の交際相手かも知れないね。その人が言ったんだろう、何年か前の春に「ドクダミを摘んだらお茶にして飲もうか」と。それを同じ時期に思い出しては、「誰が言ったんだろうか」と考える。

卒業式もなくなった 全米が泣いたロードショー

これは自分のことではないだろう。別に知り合いや親戚に子供いるというわけでもない、と僕は感じた。それでも卒業式がなくなった子供のことは考えてしまう。クラスメイトにサヨナラを言わずに卒業になった人たちもいっぱいいるだろう。最悪だ。

「全米が泣いたロードショー」というのはどういう意味か、よくわからない。語呂の良さ、「ロードショー」のチープな感じ、あえてありきたりな言い回しを使って悲しみを紛らわしているようにも聞こえる。絶対に違うが無理やりに解釈すると、こうだ。全米は日本人が思っている以上に泣かないという事実がある。ネトらぼの有名検証記事があって「全米が泣いた」というコピーを使われた映画は実に2本しかない。つまり全然泣かない全米が泣くほど最悪な出来事、それこそが卒業式の喪失である。

Q.E.D. 証明終了ー

最悪な な な なのになぜ お腹ばっかり減るんだろ
最悪な な な 春のせいさ 虞美人草が揺れている

直太郎作品で「私」はお腹が減りがちである。いまパッとは思い出せないが、他にも「腹が減ったぜ」と歌う曲がいくつかある。そして空腹は生きることへの強いメッセージである。家で何もすることがなくてぼんやりしている。空を見て、テレビを見て、昔を思い出して... そしてふとお腹が減ったことに気付く。ああ!!なんで!!こんなに最悪な春なのに!!僕がなんのために生きているかもわからないのに!!!どうして腹はちゃんと減るんだろう!!?自分が生きてる価値なんてもうわからなくなってしまったけど、腹は呑気にグーーーっと鳴って体は生きようとしている。

「虞美人草が揺れている」
最初に聞いたときは夏目漱石の『虞美人草』を連想した。というか、普段使いされる言葉ではないので、それぐらいしか連想するものがない。ずいぶん昔に読んだので、あまり記憶は定かではないがバッドエンドの苦しい、しかし美しい物語で、物語の舞台は春から初夏だ。春の空、春の風、春雨が物語を通じて描かれる。虞美人草というのはコクリコ、ヒナゲシのことだが、この別名は有名な故事に由来する。絶世の美女虞姫は項羽の足手まといになるまいと自ら命をたち、そこにはヒナゲシの綺麗な花が咲いたというもの。この春に命を落とした人たちを表しているというのは、飛躍しすぎだろうか。おそらくその花言葉である「労り」や「思いやり」というメッセージだと思う。それが春というより初夏を感じさせる、そんな風に揺れている。

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替え玉を注文すると、厨房から麺を投げつけてくるタイプのラーメン屋  

vs 頭にキモいモンスターを飼っている学生

 

2020年8月22日