臍(ほぞ)を狙え

Dame ramen y dime tonto.

あるいはそんなような夜

恥を忍んで白状すると、僕は今日の今日まで村上春樹を読んだことがなかった。

別段嫌いだったわけじゃないし、村上に家を燃やされたわけでも無い。

ただ読んだことがなかった。というだけだ。

言うなればサラダバーの紫キャベツみたいなのもので、恋人が「キャベツを取らない人は人間失格よ。バイバイ」などと言ったりしない限りは、わざわざ手元に取って試してみよう、なんて思わないだろう?

 

 

じっと湿った空気が大気と僕らの境目を曖昧にするような、あるいは、乾いた夜風が僕の鼻腔から気管を吹き抜けるような、要するに大して覚えていないそんな夜だった。

能勢電のスタンドで僕は本を探していたんだ。そう、うんと薄くてポケットの小銭で買えるぐらいのやつをね。

電話帳が配られた次の週の古本回収日のゴミ捨て場よろしく、そこには厚い本が積まれていた。「燃えよ剣」、「沈黙のパレード」、「GWは家族でディズニーランド&シー特集」、、

その時、

村上春樹はいいゾ

そう言ったのは素敵な制服のバイト店員だったか、棚の向こうの数独おじさんだったか、あるいは、僕の中の何かだったのかもしれない。

が、そんなことはどうでもよかった。とにかく僕は村上春樹のショート集を掴んでレジまで飛んで行ったってわけだ。

330円の薄本をコートのポッケにねじ込んで3番ホームへ2段飛ばしで駆け上がっていく。
空っぽの日生中央行き最終列車は灯油が切れかけのストーヴみたいな音を寂しげに響かせ僕を待っていた。

 

もしかすると 、僕は思った。

「もしかすると、影響されるのが嫌だったのかもしれないな。」

 

「どういうこと?」氷しか残っていないキャナダ・ドライのグラスを傾けながら妻は毛むくじゃらの鼻をこちらへ向けて僕を見つめた。

 

「つまりは、だ。」と僕は苦笑した。

「自分のブログぐらい、自分のスタイルで、味を出しながら書きたいと普通思うだろう?でも、村上を読んだ後の僕はどうだ?まるで違う自分だ。もう読む前の僕は存在しないんだよ。つまりは仏教的なダスイッヒってわけだ。」

 

「わからないわ。全然。」彼女は蹄をテーブルにかけて言った。本当に理解に苦しんでいる、と言った表情だった。

 

「そのうちわかるさ」僕はそう笑って手元のチオビタ3000を飲み干し、電車を降りた。